2005年 06月 14日
情報の責任について(カラシ入りのシュークリーム)
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以前、4月2日の朝まで生テレビで、情報の受けて責任について話題があった
詳細な発言は覚えてないけど、
どーかくの日記の4月3日の記事では、
>大谷氏をはじめとする大多数のパネリストは、
>情報の発信者にこそ責任があるのだ、と主張した。
>これは正論である。
>しかし、元オン・ザ・エッヂ役員の小飼弾氏が
>「ネット上では情報の受け手にこそ責任があるのだ」
>と言った時、大多数のパネリストは「それは違う」と憤った。
と書かれてある
長野智子BLOGの4月2日の記事では、
>「ネット上で誤報などのトラブルがあっても、
>責任の所在は受け手、つまり利用者に委ねられるんです」
と書かれてある
小飼弾氏のこのような発言を田原総一朗氏などパネリストの全てが間違っていると指摘していたことに、とても違和感を感じた
長野智子氏は
>理想をいえば報道記事は匿名ではなく、
>できるだけ署名であるべきだと思うし、
>こういう考え方の人間が、こう解釈して伝えています、
>って責任所在を明確にした上で、
>受け手は取捨選択の権利を持つべきだと私は考えているので。
と書いてある
いろいろ考えた結果、
情報は送る側も受け取る側も、その情報に関わる全ての人が責任を持つことだと思う
送る側は信頼ある情報を送るため、間違ってないか確認して情報を送る
受け取る側は、間違ってない情報を得るため情報を選び受け取る
受け取った情報が間違っているなら、間違ったままにせず、逆に送る側となり間違いを知らせる
送る側も受け取る側も関係なく、情報をよりよいものにしていくべきだと思う
■カラシ入りのシュークリーム
日本テレビ系列で放送されている世界一受けたい授業で
5月28日の3次元目で伏木亨先生が出演して良いと思うことが言っていた
一つだけカラシ入りのシュークリームを用意した説明で、
シュークリームが4つあって、この中の1つにカラシが入っている状況で
一人づつシュークリームを食べていった
ある人は、ニオイをかいだり、はじっこから食べたりした
結局、4つのシュークリームの中にカラシは入ってなかった
しかし、一口で全部食べて、もしカラシが入っていれば大変
だから、もし入っていても少しでも安全になるように行動する
もしかしたら危ないという意識があれば、
食べる人(受けて)が何が正しく何が間違っているか考え行動するだろう
逆に全て安全と言われて、何も考えずに一口で全部食べていれば
いつかカラシ入りを一口で全部食べて大変な目に会うだろう
他の人に任せれば、何も考えずにすむから楽っていう利点もあるんだけどね
■食べ物の価値
牛肉偽装事件のニュースが少し前あった
産地を偽装した肉を食べた人は、どう感じたんだろう?
伏木亨先生の話では、美味しさの要素として情報があると言われている
偽装だろうが食べた人が美味しいと感じれば良いかもなんて思ったりもw
初めて買う食べ物の価値は、味、安全性、量の3つで決まるんじゃないかと思う
※初めてじゃないものだったら経験が入る
味と安全性は、初めて買う物だったら評判やブランドなどの情報で判断することになる
量は、具体的に計れば数値でわかるし、見た目でも大きさで量がわかる
評判やブランドという情報は、
自分で一度、体験すればいいことだけど、初めてなら
美味しいお店を知ってる人からの話を聞けば信頼できると思う
しかし、誰かわからない人の話なら信頼は低いと思う
量にしても、店が提示する量の情報が信頼あるなら、自分で量ったり見た目で判断する必要もない
肉を売る側は信頼を上げたい
肉を買う側は信頼ある店で買いたい
信頼を上げるにはどうしたら良いんだろう?
■信頼を上げるには
車を売る会社は、走行実験などたくさんの実験をかさねて100%信頼あるものを作ろうとする
しかし、リコールがあるように100%の車を作ることはできていない
新聞やテレビは間違った情報を送ったとき、訂正記事などで間違いたことを知らせている
情報の信頼を上げるには
新聞記者のように裏づけをとったり
車を作ってる人のように何度も走行テストなどを繰り返したり
間違った情報を送らない努力をする
努力しても間違った物があれば、リコールや、訂正記事などで
間違ったことを間違ったままにしないようにしている
これが情報の信頼を上げていくと思う
ただ、これだと情報を送る側だけしか信頼を上げていない
情報の信頼は送る側だけが上げることなんだろうか?
・社会保険庁、イベント開催名目で6年間に6億円計上
・道路公団OB、橋梁30社に天下り 受注調整に関与か
・大阪市職員スーツ代は「給与」…国税局が徴収漏れ指摘
など、行政の問題が噴出している
オンブズマンは行政活動を監視をしている
マスコミも行政を監視している
この場合のマスコミは行政(情報を送る側)がやった行為を調べる立場(情報を受け取る側)になる
行政自体も自分の問題を改善しようとしているが、
このような活動も行政の問題を改善しようとしている
■論議
論議という言葉は
>互いに意見を述べて理非を論じ合うこと。
と書かれてある
※理非=道理にかなっていることと外れていること
※議論=互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。
互いということは一人では論議にならない
情報を受け取った側も加われば、送り手と受け手で互いにとなり、
理非を論じ合うことで、正しいことが見えてくる
受け取った人も情報というものに関わっている
送る側、受け取る側 お互いで信頼を上げあうことが大事
■あとがき
ここに書く独り言に間違っていることがあれば指摘をしてくれると、
「独り言」から「互いに」となり、
議論となり、理非を論じ合うことになり、
正しいことと間違っていることが見つかるかもしれない
ここに間違ってること書いると思ったら指摘されなければ
良いと思って書いたベルギーはおバカちゃんのままだろうね^^
間違ってることを指摘することは大変なんで指摘しなくても良いけど、
くれぐれもカラシを丸ごと食べて苦しまないように^^
4月の朝生で疑問にもち、2ヶ月経って自分なりの答えが出せた
でも、他のBlogにトラックバック送るなんてこともしないから結局、独り言^^
答えは出せたけど、トラバなんてしちゃうと会話となり論議となり、
意見を戦わせることを避けちゃうのかな^^
詳細な発言は覚えてないけど、
どーかくの日記の4月3日の記事では、
>大谷氏をはじめとする大多数のパネリストは、
>情報の発信者にこそ責任があるのだ、と主張した。
>これは正論である。
>しかし、元オン・ザ・エッヂ役員の小飼弾氏が
>「ネット上では情報の受け手にこそ責任があるのだ」
>と言った時、大多数のパネリストは「それは違う」と憤った。
と書かれてある
長野智子BLOGの4月2日の記事では、
>「ネット上で誤報などのトラブルがあっても、
>責任の所在は受け手、つまり利用者に委ねられるんです」
と書かれてある
小飼弾氏のこのような発言を田原総一朗氏などパネリストの全てが間違っていると指摘していたことに、とても違和感を感じた
長野智子氏は
>理想をいえば報道記事は匿名ではなく、
>できるだけ署名であるべきだと思うし、
>こういう考え方の人間が、こう解釈して伝えています、
>って責任所在を明確にした上で、
>受け手は取捨選択の権利を持つべきだと私は考えているので。
と書いてある
いろいろ考えた結果、
情報は送る側も受け取る側も、その情報に関わる全ての人が責任を持つことだと思う
送る側は信頼ある情報を送るため、間違ってないか確認して情報を送る
受け取る側は、間違ってない情報を得るため情報を選び受け取る
受け取った情報が間違っているなら、間違ったままにせず、逆に送る側となり間違いを知らせる
送る側も受け取る側も関係なく、情報をよりよいものにしていくべきだと思う
■カラシ入りのシュークリーム
日本テレビ系列で放送されている世界一受けたい授業で
5月28日の3次元目で伏木亨先生が出演して良いと思うことが言っていた
一つだけカラシ入りのシュークリームを用意した説明で、
シュークリームが4つあって、この中の1つにカラシが入っている状況で
一人づつシュークリームを食べていった
ある人は、ニオイをかいだり、はじっこから食べたりした
結局、4つのシュークリームの中にカラシは入ってなかった
しかし、一口で全部食べて、もしカラシが入っていれば大変
だから、もし入っていても少しでも安全になるように行動する
もしかしたら危ないという意識があれば、
食べる人(受けて)が何が正しく何が間違っているか考え行動するだろう
逆に全て安全と言われて、何も考えずに一口で全部食べていれば
いつかカラシ入りを一口で全部食べて大変な目に会うだろう
他の人に任せれば、何も考えずにすむから楽っていう利点もあるんだけどね
■食べ物の価値
牛肉偽装事件のニュースが少し前あった
産地を偽装した肉を食べた人は、どう感じたんだろう?
伏木亨先生の話では、美味しさの要素として情報があると言われている
偽装だろうが食べた人が美味しいと感じれば良いかもなんて思ったりもw
初めて買う食べ物の価値は、味、安全性、量の3つで決まるんじゃないかと思う
※初めてじゃないものだったら経験が入る
味と安全性は、初めて買う物だったら評判やブランドなどの情報で判断することになる
量は、具体的に計れば数値でわかるし、見た目でも大きさで量がわかる
評判やブランドという情報は、
自分で一度、体験すればいいことだけど、初めてなら
美味しいお店を知ってる人からの話を聞けば信頼できると思う
しかし、誰かわからない人の話なら信頼は低いと思う
量にしても、店が提示する量の情報が信頼あるなら、自分で量ったり見た目で判断する必要もない
肉を売る側は信頼を上げたい
肉を買う側は信頼ある店で買いたい
信頼を上げるにはどうしたら良いんだろう?
■信頼を上げるには
車を売る会社は、走行実験などたくさんの実験をかさねて100%信頼あるものを作ろうとする
しかし、リコールがあるように100%の車を作ることはできていない
新聞やテレビは間違った情報を送ったとき、訂正記事などで間違いたことを知らせている
情報の信頼を上げるには
新聞記者のように裏づけをとったり
車を作ってる人のように何度も走行テストなどを繰り返したり
間違った情報を送らない努力をする
努力しても間違った物があれば、リコールや、訂正記事などで
間違ったことを間違ったままにしないようにしている
これが情報の信頼を上げていくと思う
ただ、これだと情報を送る側だけしか信頼を上げていない
情報の信頼は送る側だけが上げることなんだろうか?
・社会保険庁、イベント開催名目で6年間に6億円計上
・道路公団OB、橋梁30社に天下り 受注調整に関与か
・大阪市職員スーツ代は「給与」…国税局が徴収漏れ指摘
など、行政の問題が噴出している
オンブズマンは行政活動を監視をしている
マスコミも行政を監視している
この場合のマスコミは行政(情報を送る側)がやった行為を調べる立場(情報を受け取る側)になる
行政自体も自分の問題を改善しようとしているが、
このような活動も行政の問題を改善しようとしている
■論議
論議という言葉は
>互いに意見を述べて理非を論じ合うこと。
と書かれてある
※理非=道理にかなっていることと外れていること
※議論=互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。
互いということは一人では論議にならない
情報を受け取った側も加われば、送り手と受け手で互いにとなり、
理非を論じ合うことで、正しいことが見えてくる
受け取った人も情報というものに関わっている
送る側、受け取る側 お互いで信頼を上げあうことが大事
■あとがき
ここに書く独り言に間違っていることがあれば指摘をしてくれると、
「独り言」から「互いに」となり、
議論となり、理非を論じ合うことになり、
正しいことと間違っていることが見つかるかもしれない
ここに間違ってること書いると思ったら指摘されなければ
良いと思って書いたベルギーはおバカちゃんのままだろうね^^
間違ってることを指摘することは大変なんで指摘しなくても良いけど、
くれぐれもカラシを丸ごと食べて苦しまないように^^
4月の朝生で疑問にもち、2ヶ月経って自分なりの答えが出せた
でも、他のBlogにトラックバック送るなんてこともしないから結局、独り言^^
答えは出せたけど、トラバなんてしちゃうと会話となり論議となり、
意見を戦わせることを避けちゃうのかな^^
by belgism
| 2005-06-14 21:47
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