2005年 07月 02日
「幻のサッカー王国」から見る旧ユーゴスラビア
|
スポーツナビでサッカーコラムを書いている宇都宮氏の著書「幻のサッカー王国」を読んだ
1994年7月17日 FIFAワールドカップアメリカ大会決勝
ブラジル対ユーゴスラヴィア 大会史上初のPK戦
ストイコビッチのゴールで祖国初のワールドカップ優勝・・・・・
というフィクションから、この本は始まる
この当時、ユーゴ代表は、各ポジションに優れたタレントがいた
名古屋グランパスで活躍したストイコビッチ
98年フランスワールドカップ得点王シュケル
(その他の選手は、国ごと別の場所に書いています)
監督は現ジェフ千葉監督、90年イタリアWCユーゴスラヴィア代表監督のオシム
もし内戦がなければ、94年アメリカWCでユーゴスラビアが優勝していたかもしれない
宇都宮氏は97年2月会社を辞め、カメラを持ってユーゴスラヴィアへ向かった
なぜユーゴだったのか自分でもわからない
運命なのか、巨大な力に押されるようにユーゴへ向かった
注意!
ここからは、本の感想ではありません
本に出てくる場所を
GoogleMapsで見れるようにリンクを書いたり
Wikipediaで詳しい情報がわかるようにリンクを書いています
また今の旧ユーゴの国々を調べたときのリンクをメモのような感じで書いています
旧ユーゴスラビア Wikipedia
旧ユーゴスラビアには、こんな数え歌がある
◇7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアと接している)
◇6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
◇5つの民族(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
◇4つの言語(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
◇3つの宗教(ローマ・カトリック、セルビア正教、イスラム教)
◇2種類の文字(キリル文字、ラテン文字)
◇1つの国の独立を守ろうという国民の堅い意志
参照 旧ユーゴスラビアの民族と文化
スロベニア共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
クナフス
スロベニア共和国 首都リュブリャナ Google Maps
宇都宮さん 現地の言葉を教えてもらう
サッカー=ノゴメット
こんにちは=ドバル・ダン
さようなら=ナ・スヴェーデニェ ※サヨナラは現地の人が知ってた日本語
ありがとう=フヴァラ ※旧ユーゴ諸国ならどこでも通じる言葉
クロアチア共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
シミッチ、シュケル、プロシネツキ、ボクシッチ、ボバン、ラパイッチ
クロアチア共和国 リエカ Google Maps Wikipedia
川崎市と姉妹都市
サッカーチーム:NKリエカ
Google Maps 海岸線の左の方にスタジアムがある
サッカーチーム:オリエント・リエカ
ホームスタジアム クリメヤ 収容人数5300
宇都宮さん オリエント対ハイドゥク・スプリトの試合を見る
クロアチア共和国 スプリト Google Maps Wikipedia
クロアチア第二の都市
サッカーチーム:ハイドゥク・スプリト
Google Maps 左の方に立派なスタジアムがある
宇都宮さん 真夜中の道でネオ・ナチ系の人に襲われるがカメラ用の一脚で追い返す
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手がいなかったから監督]
オシム監督
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 首都サラエヴォ Google Maps Wikipedia
サッカーチーム:FKサラエヴォ
北に見えるサッカー場がホームスタジアム コシェヴォ・スタジアム
このスタジアムは戦時下スタジアムのピッチに墓標があった
宇都宮さん コシェヴォ・スタジアムで「ボスニア・ビート・イタリア」と叫ぶ
※この「ボスニア・ビート・イタリア」は、96年11月6日 ボスニア本国初の国際親善試合でイタリアと対戦し勝ったため
サッカーチーム:ジェーリョことジェレズニチャル・サラエヴォ
ホームスタジアム グルバヴィッツァ・スタジアム
Google Mapsではスタジアムは青色の雲の影で隠れているようで見つからなかった
宇都宮さん ジェーリョの試合を見る
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 パレ Google Maps
セルビア人指導者ラドヴァン・カラジッチがセルビア人勢力の軍事拠点にした
97年当時、パレは地元のタクシーの人も怖がる場所だった
宇都宮さん ここからベオグラード行きのバスに乗る
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 ズヴォルニク Google Maps
ボスニアとユーゴスラヴィアと隣接する国境の街
宇都宮さん 国境警備隊に尋問を受ける^^;
セルビア・モンテネグロ Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
サビチェビッチ、ストイコビッチ、ミハイロビッチ、ミヤトビッチ、ミロシェビッチ、ユーゴビッチ、ヨカノビッチ
セルビア・モンテネグロ 首都ベオグラード Google Maps Wikipedia
ベオグラードは、セルビア語で「白い街」を意味する
宇都宮氏 セルビア共和国大統領ミロシェビッチに対する学生デモを取材する
Wikipeiaでミロシェビッチを調べると、
>2000年秋の大統領選挙の際、国民の抗議行動により退陣
と書かれている
97年3月頃は毎日学生デモをやっていたと書いてあったから、学生デモの成果が実ったんだと思う
サッカーチーム:レッドスター
ホームスタジアムはベオグラード郊外にあるツルヴェナ・ズヴェズダ
通称マラカナとも呼ばれている
Google Maps 地図上に見えるスタジアムがマラカナかは不明
宇都宮さん レッドスターの試合を見る
この後、宇都宮さんはハンガリー、ドイツ、チェコ、韓国に行っている
チェコのプラハでスラヴィア・プラハとスパルタ・プラハの試合を観戦する
この試合にスパルタの方に、ハシェックが出場していたそうです
ハシェックは、94年サンフレッチェ優勝に貢献した名プレイヤー
サンフレッチェに所属した選手の中では一番凄い選手だと思う
以上で「幻のサッカー王国」での宇都宮さんの旅が終わる
スポーツナビの宇都宮さんが書いた2003年のコラムに
>ベオグラードを「第2の故郷」と思い、6年前から毎年「帰省」している身である
と書いてあった
宇都宮さんは毎年訪れていたんだ
最近の旧ユーゴの国々
最近のユーゴはどうなのかな?っと思い外務省の海外安全HPを見てみました
外務省:スロベニアの安全情報
危険情報なし
外務省:クロアチアの安全情報
「十分注意して下さい。」の危険情報がある
外務省:ボスニア・ヘルツェゴビナの安全情報
全土が「渡航の是非を検討して下さい。」か「十分注意して下さい。」になっている
まだ民族問題もあるようだし、地雷も埋まってるけど、
>2004年10月の地方選挙も治安上の問題はなく、平穏に実施されました。
と書かれているから平和に向かっているようにも見える
外務省:セルビア・モンテネグロの安全情報
コソボ地方以外は、危険情報がない
コソボ地方は「渡航の延期をおすすめします。」と危険な状況だ ※コソボ紛争
また、モンテネグロは2006年春にも独立を問う住民投票を実施するかが注目されている
2006年ドイツワールドカップ予選
スロベニアはグループ5の3位 イタリアが飛び出しててノルウェーと2位争い
クロアチアはグループ8の1位 スウェーデンと1位争いしている
ボスニア・ヘルツェゴビナはグループ7の5位 予選突破は難しそうだ
セルビア・モンテネグロはグループ7の2位 スペインと1位争いしてる
クロアチアとセルビア・モンテネグロは強い
スロベニアも1位は難しそうだけど、2位で予選突破のチャンスをつかんで欲しいな
ボスニア・ヘルツェゴビナは内戦で、たくさん人が出て行ってることが影響してるのかな?
マケドニア旧ユーゴスラビア
宇都宮さんの旅では訪れてないけど、もう1つ旧ユーゴだった国があった
Wikipedia
外務省の安全情報・・・「渡航の延期をおすすめします。」になってる
ワールドカップの予選はグループ1の5位 オランダ、チェコがいて難しそう
複雑な民族関係
スポーツナビにこのようなコラムが書いてあった
ボスニア・ヘルツェゴビナ サッカーリポート 戦争と民族とサッカーと(2004/10/15)
セルビア・モンテネグロ(SCG)という国があるけど、
ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)のセルビア人共和国に住むセルビア人もいる
「BiH対SCG戦で、あなたはどちらのチームを応援しますか?」
「俺は当然、SCGを応援する。お前は戦争をした相手を応援することができるか? できないだろう。そういうことだ」
各国のWikipediaを見ると国民のところに何人が何%と書いてある
スロベニア共和国
スロベニア人が89%、旧ユーゴスラビア系の住民(クロアチア人、セルビア人、ボスニア人)が10%、ハンガリー人やイタリア人が0.5%である。
クロアチア共和国
住民は、クロアチア人が89.6%である。その他、セルビア人が4.5%、ボスニア人が0.5%などとなっている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。
セルビア・モンテネグロ
住民は、セルビア人が62.6%、アルバニア人が16.5%、モンテネグロ人が5%、ハンガリー人が3.3%、その他が12.6%(1991年調査)
一つの国の時代が長かったから、親が違う民族の人もいる
こういう人達は、ユーゴスラビア人と名乗る人もいると書いてあった
今後、旧ユーゴの人々はどうなっていくのか見ていきたい
--- memo ---
94年WCで活躍できそうな選手はここで探しました
FOOT BALL ISLAND
各国のサッカー情報
Sarajevo Football Project - サッカーを通じたサラエボでの民族融和プロジェクト
クロアチアに行こう!!
YU YU FOOTBALL MANIA
ユーゴスラヴィアンサッカー
ユーゴ情勢
Zen CHIDA's PAGE
旅行記
Tabibito's Homepage
世界地図
Expedia.com - Find a Map
第二次世界大戦から1980年までユーゴをまとめていた大統領
ヨシップ・ブロズ・チトー - Wikipedia
1994年7月17日 FIFAワールドカップアメリカ大会決勝
ブラジル対ユーゴスラヴィア 大会史上初のPK戦
ストイコビッチのゴールで祖国初のワールドカップ優勝・・・・・
というフィクションから、この本は始まる
この当時、ユーゴ代表は、各ポジションに優れたタレントがいた
名古屋グランパスで活躍したストイコビッチ
98年フランスワールドカップ得点王シュケル
(その他の選手は、国ごと別の場所に書いています)
監督は現ジェフ千葉監督、90年イタリアWCユーゴスラヴィア代表監督のオシム
もし内戦がなければ、94年アメリカWCでユーゴスラビアが優勝していたかもしれない
宇都宮氏は97年2月会社を辞め、カメラを持ってユーゴスラヴィアへ向かった
なぜユーゴだったのか自分でもわからない
運命なのか、巨大な力に押されるようにユーゴへ向かった
注意!
ここからは、本の感想ではありません
本に出てくる場所を
GoogleMapsで見れるようにリンクを書いたり
Wikipediaで詳しい情報がわかるようにリンクを書いています
また今の旧ユーゴの国々を調べたときのリンクをメモのような感じで書いています
旧ユーゴスラビア Wikipedia
旧ユーゴスラビアには、こんな数え歌がある
◇7つの国境(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアと接している)
◇6つの共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
◇5つの民族(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)
◇4つの言語(スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語)
◇3つの宗教(ローマ・カトリック、セルビア正教、イスラム教)
◇2種類の文字(キリル文字、ラテン文字)
◇1つの国の独立を守ろうという国民の堅い意志
参照 旧ユーゴスラビアの民族と文化
スロベニア共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
クナフス
スロベニア共和国 首都リュブリャナ Google Maps
宇都宮さん 現地の言葉を教えてもらう
サッカー=ノゴメット
こんにちは=ドバル・ダン
さようなら=ナ・スヴェーデニェ ※サヨナラは現地の人が知ってた日本語
ありがとう=フヴァラ ※旧ユーゴ諸国ならどこでも通じる言葉
クロアチア共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
シミッチ、シュケル、プロシネツキ、ボクシッチ、ボバン、ラパイッチ
クロアチア共和国 リエカ Google Maps Wikipedia
川崎市と姉妹都市
サッカーチーム:NKリエカ
Google Maps 海岸線の左の方にスタジアムがある
サッカーチーム:オリエント・リエカ
ホームスタジアム クリメヤ 収容人数5300
宇都宮さん オリエント対ハイドゥク・スプリトの試合を見る
クロアチア共和国 スプリト Google Maps Wikipedia
クロアチア第二の都市
サッカーチーム:ハイドゥク・スプリト
Google Maps 左の方に立派なスタジアムがある
宇都宮さん 真夜中の道でネオ・ナチ系の人に襲われるがカメラ用の一脚で追い返す
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手がいなかったから監督]
オシム監督
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 首都サラエヴォ Google Maps Wikipedia
サッカーチーム:FKサラエヴォ
北に見えるサッカー場がホームスタジアム コシェヴォ・スタジアム
このスタジアムは戦時下スタジアムのピッチに墓標があった
宇都宮さん コシェヴォ・スタジアムで「ボスニア・ビート・イタリア」と叫ぶ
※この「ボスニア・ビート・イタリア」は、96年11月6日 ボスニア本国初の国際親善試合でイタリアと対戦し勝ったため
サッカーチーム:ジェーリョことジェレズニチャル・サラエヴォ
ホームスタジアム グルバヴィッツァ・スタジアム
Google Mapsではスタジアムは青色の雲の影で隠れているようで見つからなかった
宇都宮さん ジェーリョの試合を見る
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 パレ Google Maps
セルビア人指導者ラドヴァン・カラジッチがセルビア人勢力の軍事拠点にした
97年当時、パレは地元のタクシーの人も怖がる場所だった
宇都宮さん ここからベオグラード行きのバスに乗る
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ共和国 ズヴォルニク Google Maps
ボスニアとユーゴスラヴィアと隣接する国境の街
宇都宮さん 国境警備隊に尋問を受ける^^;
セルビア・モンテネグロ Wikipedia
[94年WCで活躍できそうな選手]
サビチェビッチ、ストイコビッチ、ミハイロビッチ、ミヤトビッチ、ミロシェビッチ、ユーゴビッチ、ヨカノビッチ
セルビア・モンテネグロ 首都ベオグラード Google Maps Wikipedia
ベオグラードは、セルビア語で「白い街」を意味する
宇都宮氏 セルビア共和国大統領ミロシェビッチに対する学生デモを取材する
Wikipeiaでミロシェビッチを調べると、
>2000年秋の大統領選挙の際、国民の抗議行動により退陣
と書かれている
97年3月頃は毎日学生デモをやっていたと書いてあったから、学生デモの成果が実ったんだと思う
サッカーチーム:レッドスター
ホームスタジアムはベオグラード郊外にあるツルヴェナ・ズヴェズダ
通称マラカナとも呼ばれている
Google Maps 地図上に見えるスタジアムがマラカナかは不明
宇都宮さん レッドスターの試合を見る
この後、宇都宮さんはハンガリー、ドイツ、チェコ、韓国に行っている
チェコのプラハでスラヴィア・プラハとスパルタ・プラハの試合を観戦する
この試合にスパルタの方に、ハシェックが出場していたそうです
ハシェックは、94年サンフレッチェ優勝に貢献した名プレイヤー
サンフレッチェに所属した選手の中では一番凄い選手だと思う
以上で「幻のサッカー王国」での宇都宮さんの旅が終わる
スポーツナビの宇都宮さんが書いた2003年のコラムに
>ベオグラードを「第2の故郷」と思い、6年前から毎年「帰省」している身である
と書いてあった
宇都宮さんは毎年訪れていたんだ
最近の旧ユーゴの国々
最近のユーゴはどうなのかな?っと思い外務省の海外安全HPを見てみました
外務省:スロベニアの安全情報
危険情報なし
外務省:クロアチアの安全情報
「十分注意して下さい。」の危険情報がある
外務省:ボスニア・ヘルツェゴビナの安全情報
全土が「渡航の是非を検討して下さい。」か「十分注意して下さい。」になっている
まだ民族問題もあるようだし、地雷も埋まってるけど、
>2004年10月の地方選挙も治安上の問題はなく、平穏に実施されました。
と書かれているから平和に向かっているようにも見える
外務省:セルビア・モンテネグロの安全情報
コソボ地方以外は、危険情報がない
コソボ地方は「渡航の延期をおすすめします。」と危険な状況だ ※コソボ紛争
また、モンテネグロは2006年春にも独立を問う住民投票を実施するかが注目されている
2006年ドイツワールドカップ予選
スロベニアはグループ5の3位 イタリアが飛び出しててノルウェーと2位争い
クロアチアはグループ8の1位 スウェーデンと1位争いしている
ボスニア・ヘルツェゴビナはグループ7の5位 予選突破は難しそうだ
セルビア・モンテネグロはグループ7の2位 スペインと1位争いしてる
クロアチアとセルビア・モンテネグロは強い
スロベニアも1位は難しそうだけど、2位で予選突破のチャンスをつかんで欲しいな
ボスニア・ヘルツェゴビナは内戦で、たくさん人が出て行ってることが影響してるのかな?
マケドニア旧ユーゴスラビア
宇都宮さんの旅では訪れてないけど、もう1つ旧ユーゴだった国があった
Wikipedia
外務省の安全情報・・・「渡航の延期をおすすめします。」になってる
ワールドカップの予選はグループ1の5位 オランダ、チェコがいて難しそう
複雑な民族関係
スポーツナビにこのようなコラムが書いてあった
ボスニア・ヘルツェゴビナ サッカーリポート 戦争と民族とサッカーと(2004/10/15)
セルビア・モンテネグロ(SCG)という国があるけど、
ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)のセルビア人共和国に住むセルビア人もいる
「BiH対SCG戦で、あなたはどちらのチームを応援しますか?」
「俺は当然、SCGを応援する。お前は戦争をした相手を応援することができるか? できないだろう。そういうことだ」
各国のWikipediaを見ると国民のところに何人が何%と書いてある
スロベニア共和国
スロベニア人が89%、旧ユーゴスラビア系の住民(クロアチア人、セルビア人、ボスニア人)が10%、ハンガリー人やイタリア人が0.5%である。
クロアチア共和国
住民は、クロアチア人が89.6%である。その他、セルビア人が4.5%、ボスニア人が0.5%などとなっている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ
住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。
セルビア・モンテネグロ
住民は、セルビア人が62.6%、アルバニア人が16.5%、モンテネグロ人が5%、ハンガリー人が3.3%、その他が12.6%(1991年調査)
一つの国の時代が長かったから、親が違う民族の人もいる
こういう人達は、ユーゴスラビア人と名乗る人もいると書いてあった
今後、旧ユーゴの人々はどうなっていくのか見ていきたい
--- memo ---
94年WCで活躍できそうな選手はここで探しました
FOOT BALL ISLAND
各国のサッカー情報
Sarajevo Football Project - サッカーを通じたサラエボでの民族融和プロジェクト
クロアチアに行こう!!
YU YU FOOTBALL MANIA
ユーゴスラヴィアンサッカー
ユーゴ情勢
Zen CHIDA's PAGE
旅行記
Tabibito's Homepage
世界地図
Expedia.com - Find a Map
第二次世界大戦から1980年までユーゴをまとめていた大統領
ヨシップ・ブロズ・チトー - Wikipedia
by belgism
| 2005-07-02 17:15
| BOOK